先日は雪がちょっと多くて、しっかり雪かきに励みました。
また今日は、小屋の屋根にたまった雪をやまびこくんと下ろしました。
二人でやったら早かった・・・、そして、汗もたっぷりかきました。
さて、中々ブログ更新できずにいましたが、
実は色々感じていたことが整理がついていなかったからでした。
それが、昨日いただいたメールの返事を書いていて、
私が、最近感じていた事をやっと文章に出来ました。
そして、書いたことによって雪降ろしの様に下ろすことが出来、
自分自身でこれから使うことが出来る気付きとなってくれました。
・・・というわけで、書くことで下ろせたので、
「雪下ろし」・・・「書き下ろし」なのでした。
・・・で、今日の晩御飯には「大根下ろし」を食べることにします(笑)
本当に絶妙なタイミングだったので、
その方にお願いしてここでシェアさせていただくお許しを頂きました。
以下はそのメール交換の内容です。
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はじめまして。
昨年の暮れからこだまさんのyoutubeを聞いております。
これはたまたま(としか言えないのですが)動画を発見したのでした。
少し自分語りをさせて頂けますならば、私は幼い頃からこの世界に
違和感を覚えていたのでした。 強烈な存在的苦痛がありました。
幼少期の風景は殆どが陰鬱と恐れで彩られていました。
青年期に入ってそれらへの反逆が始まり、
武術や気功やヨーガに明け暮れ、後に野口整体の指導者となり、
あるメッセージでそれを離れ、
今は篆刻家(書道に使うはんこです)として暮らしています。
30歳直前、クリシュナムルティの著作で大疑団を抱えてバシャールやエクトン、
バーソロミューなどのチャネリング情報を徘徊し、40の頃また疑団を蘇らせ、
このままじゃ生きてはいけないな、と思いました。
そんなある日この創造の源に対し異議申し立てをしたことがあったのでした。
「人間はさまざまな苦しみ、恐れ、不安を
全て乗り越えないと幸せになれないと言うのか?」
「もしそうだとしたらそれは出来損ないである」
「そのような出来損ないの存在など私はいらない、そっくりお返しします」
道すがら、空に向かい実際に声に出して申し立てをしました。
すると頭の真ん中で何かが弾けたのでした。
「それは違う」
「苦しむ必要などなにもない」
「おまえはそのままでいい」
3年ほど前から疑問の残滓が疼き始め、また探求が始まったのでした。
すると次々とそれらの疑問が一点のかげりもなく氷解したのです。
「この世界は愛でしか出来ていない、1しかない」
「苦しみとは意識が逆転した一種の錯覚である、ゆえに実在しない、
それは単に逆転による体験としてだけある」
「全ての感情は愛の屈折である」
「愛の屈折率が不快感を齎している、それはメッセージである、
しかしこの屈折も 架空でしかない」
それらのインスピレーションをある掲示板に吐き出し続けたものです。
昨年の暮れ、私が体験してきたさまざまなことは
全てこの気づきへ向かっていたこと、
そしてそれらの事々は私が幼い頃から知っていたと気付きました。
そのとき、そろそろ体験を迎えよう、と言った直観が来ました。
画餅は飢えを満たさず、いくら頭で理解してもあり方は変わらない。
感覚だけが重要だ、と。
そしてこだまさんの動画を発見したのでした。
びっくりしました。
私が受けたそのメッセージが実際の音声となって流れてきたのです。
その内容を聞いて私はこれまで一切の事柄が一点に結ばれたのでした。
私はこだまさんのささやきとともにそれを体験したいと思っています。
HPには文章が既にあるようですが、
どうぞ音声メッセージをお続けいただきたく存じます。
これは私の単純な願いであり、安寧は私の内にあることを私は知っております。
また多くの人がこのメッセージで目を覚ますことができると確信しています。
こだまさんは過去、これは自作自演かと思われたとの事ですが、
ここに書かれていることは全て真理です。
ほんとうにありがとうございます。
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始めまして、素晴らしいメールをありがとうございます。
昨年10月に一旦メッセージを書き終えて、
やっと絵に集中出来ると思っていたのですが、
ある日ふと録音配信したいという感覚があったので、
それに抗わず、始めてみました。
どうなるかはわからなかったけれど、
自分自身を前に進めるためにやろうと思ったのです。
でも、始める前は、もしかしたらどこかの出版者に
本にしてもらえるかもしれないのに、 録音配信ってことは、
もうまったくの著作権放棄か?オイオイ・・・ などという考えも浮かんだのですが、
私の中の4歳児が、「GO!」サインを出すような気がしたので、
もうそんなことどうでもいいや、いっちゃえ〜、やっちゃえ〜
・・・と突っ走ることにしました。
だってこの世界を超えて行くことの方が今の私には大切だから・・・。
(もちろん、その為には全て受け容れ愛すことが大切だと感じています)
だから、著作権や、みんなに認められ褒められることや、使命を果たすことなどを、
全てを超えてゆきたいと思ったのです。
すると、ページ毎にまた新たなメッセージが付け加えられてゆきます。
だから、録音する前にまた読み直し、言い直し、書き直しです・・・
しかし、それに伴い自分自身の深い気付きもやってきて、
全ては自分のためにしているのだということが、
本当に確信出来るようになりました。
さて、私の強みはこの4歳児です。
しかし、この世界を生きて行くのに、そこから出たり入ったりしてきましたが、
もうそのままでいようかと、いま感じています。
私も少し自分語りをさせて頂きますと、
小さい頃(3〜4歳)、親が破産して東京に越してきて、
日がな一日道でお絵かきをしていました。
母が心労で倒れ、幼稚園に通わせる財力も、
送り迎えも出来なかったからでした。
しかし、それが私にとっては至福のときであり、
誰にも邪魔されず自分の想像力を駆使し、
自分だけの世界で小学生になる日まで生きてきました.。
そして社会に適応する為に、その後あらゆる体験をしてきたこと、
(それはあまり苦痛ではなかった・・・適応力はあるらしい)
宗教もやって、様々な人間関係も味わい、
自分自身にどっぷり浸かって過ごした4歳児は忘れ去られ、
自分から出かけてあらゆる体験・経験をしてきました。
そして、いまわかるのですが、
それらは全てこのメッセージを伝える為のことだった・・・、
しかし、そこに驕りも囚われも使命も付け加えてはならない、
でも人は付け加えまいと思えば、そこにイシキを集中してしまうもので、
(何故なら極性があって、ツルの恩返しだから・・・・だそうです、
見るナと言われたら見てしまう・・・笑)
だからこそ、私はあの4歳児の至福の時の感覚を保ちながら、
ただ無邪気にやってゆけば良いのだという気付きが、
本当にこの何日か前に訪れ、確信とも言うべき感覚が自分を貫いたのでした。
それでもまだ迷いが来ることもあります。
それに実際私は今、私を体験していて、人の感じ方はわかりませんから、
みんながどう受け取るのかも不安に思うこともあります。
しかし、こうして励ましのメールを頂くと、 本当に良かったナと嬉しくなります。
だから、私にあなたの感じたことを教えてくださって、
ほんとうにほんとうにありがとう。
さて、私は自分が輪廻をあまり選択せずに、何万年も天国にいた気がします。
それは幽界ではあったけれど、素晴らしい世界で、
きっとそこで遊び呆けていたのだと感じます。
しかし、本質の自己へと戻る為に、いま・ここに来たのだと感じています。
だとしたら、もうカラダを置いて幽界に還る事ではなく、
このままの自分で、全てに成りゆきたいと思っています。
今年正月元旦に、近しくしてくださった人が亡くなりました。
お葬式でみんなは死そのものを嘆いていたけれど、
私は、その人が「カラダを置いて行ってしまった」ことが
悲しくて残念でなりませんでした。
本当にカラダを持って行くことができるのかどうか、
そんな道があるのかさえも、まだ体験していないからわかりません。
それでも、もしもあるのだとしたら、やっぱりそれを選択したいと深く感じました。
だから、そのためにも進み続けようとおもっています。
これまでもずっとずっと、私の体験の為に
様々な人たちが色々な事を見せてくれました。
真逆に見えたこともあったけれど、それらがあればこそここに至ることが出来ました。
だから今、愛だけを感じています。
そしてもうずっと4歳児で居続けようと思います。
将来もしも出来たら、「こだまなくらしハウス」を作って、
みんなとそこでただ遊びたいナと思います。
何かを教えたり学んだりするのではなく、
ただ、みんなでマイムマイムを踊ったり、
お散歩したり、温泉に行ったり、なんか一緒に作ったりしてアソビたいのです。
いつかそれが実現して、あなたともご一緒して遊べたらいいなぁ〜
何しろ4歳児ですから・・・そんな想像をしています。
勇気をありがとう・・・これからもどうぞよろしくお願いします。
kodama
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